こんにちは。
じいちろーです。
まっとうに生きようとするとどうしても息苦しくなることってありますよね。
真っ直ぐに生きたいし、まっとうに生きてみたいという思いがあるのに、そのように生きると息苦しくなるようなそんなときってありますよね。
そんなことに対してちょっと考察してみたいなと思います。
正解というよりも、今回の記事は私の考察の内容になるので、誰かの参考になればいいなと思います。
そもそも世の中が間違っている
いきなりとんがった仮説ですが、すでに今の世の中が間違っていて、すでに歪をきたしているのではないかという話です。
歪がある状態なのに、それを無理に継続しようとしているから、生きにくくなっているのではないかなと思うのです。
すでに古い価値観は終わりに向かっているのに、それを維持しようとするから息苦しくなっているのではないかということ。
もう世の中の方が古くて、自分のほうが新しい時代に適しているという状態なのではないかと思うのです。
世の中の方が同調圧力で自分を戻そうとするが、それは世の中の方が遅れているんではないかという話です。
みんな共同の幻想の中でいきている。
みんな同じ考え方のほうが世の中うまく回ると考えているのではないかと思うのです。
思想が一つのほうが統一感があり、うまく噛み合うのではないかといった話しです。
たしかにそういう考え方もあっているといえば合っている気もしますが、すでにそれは共産主義が崩壊したことからもわかるとおり、うまくは行かない考え方だと思うのです。
むしろそれぞれの違いを認めあった方がうまくいくと思うのです。
でも、みんなはみ出るのが怖いから、他の考え方を受け入れるのは難しいのではないかと思うのです。
だから、同調させようとしているのではないかと思うのです。
みんな息苦しくいきている
そもそも誰かが生きやすくて、誰かが息苦しいというwin-loseの関係ではなく、みんな息苦しい生き方をしているのではないかという話。
みんな世の中生きにくいと思っているのではないかと思うのです。
なぜかはわからないが、みんなで大変な方へ行きましょうと言っている気がしてならないのです。
むしろ、みんなでもっと楽に楽しく生きましょうという方にはならないのはなぜでしょうか?
資本主義だからですかね?
それでもみんなで楽しく生きることは可能だと思います。
みんなで楽しく生きられる世の中になるといいですね。