こんにちは。
じいちろーです。
人って本当は優しい生き物だと思うのです。
困った人がいたら助けるし、人の役に立つことに喜びを感じる生き物だと思うのです。
ただし、余裕がないとそういうことができないというのもあるかなと思います。
ただ、人は本当はやさしい。
それを知っているだけで生きやすくなるとも思うのです。
人は本質的に優しい
性善説や性悪説ってありますよね?
人の本質は善なのか、悪なのかという話です。
人によっては、人はそもそも悪人でほっていたら悪いことをするものと言う人もいると思います。
ただ、私は逆で人は本質的に良い人、善人であると思っています。
何が正しいかはわかりませんが、それでも人は優しいと思うと幸せな気がします。
そして、実感的にも人は優しいものだとおもいます。
余裕がないと優しくできない
人は優しいもの。
でも、人も余裕が無くなると人に優しくできないのは考えれば普通かなと思います。
自分のことでもいっぱいなのに、他人に優しくできる余裕があるかと言われるとムリな話です。
逆に言えば、優しくない人は、すでにいっぱいいっぱいなのだと思うようにすればいいのではいいのかなとと思います。
そうすると、その優しくないのも一時的なものだと思うし、目の前の人を受け入れやすくなるのかなと思います。
優しい世界であってほしい
性善説か性悪説かと言われたら、個人的には性善説であってほしいのです。
みんな良い人だと思いますし、お世話になっていることもたくさんあります。
もっと世の中が良い人でうまっていけばいいなと思うのです。
そうなったとき、人を信じるのって大切だと思うのです。
目の前の人は信じるに値すると。
ただ、現象としてはひどいこともしてくるときもあるわけです。
それでもその人を信じるのって難しいことかもしれません。
でも、そのひどいことをするのは、今余裕がないからかもしれないと思えれば、その人を受け入れることができますよね。
今は一時的にひどいのだと思えれば、幸せに近づきそうな気がします。
もっともっと優しい世界になってほしいなと思っています。
それでも中々ならないというのに、人は優しいと信じられていないのが一因としてあるのではないかとも思っています。
人は、優しい。
でも、余裕が無いときはそうとは限らない。
と、思えればよりみんなが幸せに生きていける気がします。
幸せがもっと広まる世界になればいいなと思います。