こんにちは。
じいちろーです。
今って情報社会で探そうと思えばいくらでも情報って手に入ります。
ネットからでも情報を仕入れられるし、コミュニケーションコストも下がっているので、人からでも手に入れられます。
すごく便利な世の中だなと思うと同時に、色んな情報が入りすぎだなとも思います。
逆に情報が多すぎて迷ってしまうことが多いです。
色んな情報を触れるが故に迷ってしまうことま沢山あります。
そんなときのガイドラインになればいいなと思い、今回の記事を書いていきます。
情報が簡単に取れる時代
今、ほとんどの情報が簡単に入手できる時代になりました。
情報社会になり、ネットが発達したし、SNSなどの個人が発信できる媒体も増えてきています。
一昔前であれば、労力をかけて情報を取りに行かないといけない時代でした。
足を運んで人と話をして、情報を入手する必要があるわけです。
それが、今ではネットを検索すれば簡単に情報を手に入れられる時代になってきました。
これ自体はとてもいいことですよね?
気になったことがあればウェブ検索をしたりSNSを調べれば欲しい情報に簡単にたどり着けるわけですから。
空振りしたとしても、また調べ直せばいいわけなので、調べ直すコストも対してかかりません。
昔であれば、情報をもっていそうな人のところにいって足を運んではなしを聞いて…みたいなことをやっていたわけです。
空振りした日には最悪ですね😂
再び、足を運んで当たりを見つける必要がありますから。
調べ直すコストも莫大になっていきます。
今とは情報に対する意味合いが違っていた時代ですね。
本当の情報であるかどうかわからない
簡単に情報にアクセスできるというのは、いいことであります。
ただ、これだけ情報があふれかえると問題があります。
それが、情報が本当に正しい情報であるかどうかわからないということです。
情報の確かさというのを検証するのがむずかしいということです。
企業が情報を発信している場合があれば、個人が情報を発信している場合もあります。
いろんなレベルの人が情報を発信できることになり、本当に情報が確かなのかどうかというのを判断するのがむずかしくなりました。
簡単に情報が手に入れられるのですが、その分、確かさというのが薄くなった気がします。
判断するのはむずかしい
今の情報社会で、その情報の確かさというのを判断するのは簡単ではないです。
いろんなレベルの人が情報を発信しているので、その確かさを確認するのは本当に難易度が高いです。
実名を出していたり、ある程度の規模以上の会社が情報を発信しているのであれば、その情報はある程度担保できそうです。
ただ、それでもその情報が本当に正しいかどうかの保証にはなりません。
更に言えば、企業が発信している情報であったとしても、スポンサーとの関係があるので、スポンサーの不利益になるような情報というのは発信できなかったりします。
逆に匿名、個人レベルの発信であったとしても正しい情報であることもたくさんあります。
なので、情報の確かさを確認するのに莫大な時間がかかってしまうこともあるわけです。
しかも、本当に正しいかどうかをちゃんと判断できる人はいないと思うのです。
正しいかどうかは誰にもわからない
情報の確かさっていうのはおそらく誰にも判断できないことでしょう。
なぜなら、未来を予測するために情報ってのを集めるからです。
情報を集める目的ってなにかっていると未来を予想するためですよね?
例えば、欲しいガジェットがあったとして、それが本当に自分にとって価値があるかどうかを判断するために、ネットを検索したり、レビューを見たりするわけです。
これって、要は未来予測をするために、情報を集めていると言えるわけです。
なので、未来を予測するための情報なのですが、一番抜けている要因があります。
それは、自分自身という要因です。
自分にとって意味があるかどうかを判断したいのですが、どんなレビューをみても、どんな本を読んでも、その情報には自分という要因は入っていないわけです。
自分という要因が抜け落ちた情報をいくら集めても、自分に価値があるかというのは絶対に判断できないのです。
判断できるとすれば、それは過去に経験したことがあること、つまりは自分という要因が入った情報があるときです。
でも、その場合、情報を集める意味はないですよね?
経験したことのあることをやるのに、情報を集める必要はないですよね。
結局は自己責任になる
なので、どんな情報を手にしたとしても、自分にとって価値があるかは判断できないのです。
ということは、最終的には、やるかどうかというのは、自分の責任になります。
だれかのアドバイスであったり、ネットの情報であったり、本の情報で、どんなにいいことが書いてあったとしても、最終的には自己責任になります。
責任取りますよと言われても信じてはいけません。
責任なんて絶対に取れるわけ無いですから。
だから、やるもやらないもあなたの責任でやってください。
情報を発信した人にとってはとってもいい情報でウソのない情報であったとしても、その情報にはあなたという要因は含まれていないのですから。
やってみるだけの価値はある
と、ここまでちょっと情報に対するネガティブな側面を書いてきました。
テンションが下がってしまった方には申し訳なく思います。
ただ、ここでちょっと朗報です。
結局、どんな情報を聞いたとしても自分にとっては価値があるかどうかわからないということは、どんな情報でもやる意味があるということでもあります。
やってみて初めてあなたという要因が加わるわけですから、その情報が正しいものかどうか判断できるようになるわけですから。
なので、なんでもやってみてみるのはいいことであります。
失敗はしてほしくはないですが、やってみないことには失敗するかどうかもわからないですから。
なので、あなたにとってやってみたいのであれば、それは失敗する可能性があるとしてもやった方がいいことでしょう。
自分の心にきいてみる
結局、どんな情報をきいてもうまくいくかどうかはわからないのです。
なのであれば、自分の直感や心に従ってみてはいかがでしょうか?
自分の納得のいくことをしてみるといいと思います。
世間のいう良い悪いという情報もあなたにとって本当にいいものなのかどうかというのはわかりません。
だから、自分の正直な心に従って選択してみてもいいんじゃないでしょうか?
悩んだときはどちらでもいいということ
更に朗報です。
何かをやろうとしたときに、悩んでしまうこともあります。
やるべきなのか・やらないべきなのか?
Aがいいのか・Bがいいのか?
などなど、選択肢ってたくさんあるからこそ、悩んでしまうこともたくさんあります。
そんなときは。。。どちらでもいいのです。
どちらを選んだとしても、うまくいくかどうかは誰にも判断できないのですから。
自分の心にきいてみても、悩んで判断できないというときは、どちらでもいいということです。
明確に違いがあるのであれば、判断に迷うことはないですよね。
やりたくないことはやりたくない!!ってはっきりわかるから判断に迷うことはないです。
迷うということはどちらでもいいということです。
だから、思い切ってどちらかをやってみて、なんか違うなと感じたのなら、もう一つの方をやってみればいいのです。
だれも一回しか選べないなんて言っていないですから。
両方やってみてもいいんじゃないでしょうか?
自分の判断で行動できるという安心感
なにより、一番いいのは、自分の判断で行動できるということです。
人から言われたことをやるのって苦痛ですよね?
そうでもないですか?
私は人から何かああだこうだと言われるのがすごく苦痛なんですよ😁
だから、自分の判断で動きたいのです。
なので、人からの情報っていうのはあくまでも参考です。
結局は自己責任になるのであれば、自分の判断で行動したいと思います。
どんな結果になろうとも自分の判断なのであれば、納得がいくし、そこから学び改善することができます。
それが自分の人生をコントロールしているという安心感にもつながるはずです。
自分の心がガイドラインになる
なにより、自分の心に従って選択・判断していいということです。
自分がやりというと思う心の動きに従っていいし、それが自分の人生を豊かにする選択になります。
一時的には損をしたり、失敗に終わったりするかもしれません。
でも、自分の人生を自分で選択しているという自信にまさるものはありません。
自分の心のガイドラインに従って生きられることはすごく幸せにつながることになります。
まとめ
情報って自分という要素が入っていないからこそ、自分にとって確かなものってないです。
だからこそ、やる意味があると思うのです。
やってみてどういう結果になるかを確かめる意味があると思うのです。
その時に、やるかどうかを決めるのは自分の心で良いと思うのです。
やりたいからやる!!!
それだけで十分だと思うのです。
それだけで、自分の人生を自分で選択できるし、自分で豊かにしていくことにつながると思います。
ぜひ、自分で選択できる人生になるように選んでいきましょう。