こんにちは。
じいちろーです。
先日、ある学校の吹奏楽部の卒業公演の動画をみました。
公演前に学生たちが泣きながら先輩・後輩と話をしている姿がすごく印象的でした。
去っていく先輩たち、これからを担っていく後輩たち。
いろんな想いがそこにはあるんだなと感じた瞬間でした。
で、そのときに思ったのが、社会人になってからそういう感動するような経験って少なくなったなと思いました。
結婚式とか、お葬式とか冠婚葬祭のときくらいですかね。
なんというか、年をとったなと思うのですが、単純にそれだけではないような気がします。
大人になってからも青春時代のようないきいきとした生き方をしている人ってたくさんいる気がします。
その違いはなんなのかを考えてみました。
青春を取り戻したい、若いころのような感覚を取り戻したい人には必要な考え方だと思います。
若いころの特徴
学生のころと社会人のころとの違いってなんだと思いますか?
単純に生きてきた年数が違うので、経験値が違うということもあると思います。
いろんな意見があると思いますが、私が最も大きな違いは何かと考えると、それは【期限がある】かどうかかなと思いました。
終わりがあるという意味でもあります。
期限がある
学生のころは小学校だと6年、中学・高校だと3年、大学だと4年ですかね。
良くも悪くも期限があるということですね。
強制的にその瞬間がこれば終わりになるということです。
その期間の間にやりたいことがあったとしても、それができる・できないに関わらず、時間がきたら強制的に終わってしまうのです。
達成した人もできなかった人も時間が来たら平等に終わりになるわけです。
悲しくもありますが、それがあるから美しくもあります。
桜と同じですね。
散ってしまうからこそ美しくもあるのです。
時間は有限である
終わりがあるということは、時間が限られているということですね。
そのことに意識しているかどうかは別にしても、やはり時間は有限です。
小学校、中学校、高校でも時間は限られています。
部活などで達成したいことがあったとしても、それを3年間でやらないといけないということです。
だから、それを意識した上でやっているのか、やっていないかで時間の使い方ってのはかわってきます。
強く想いを持っている人ほど、限られた時間を濃密につかっていると思います。
その想いがあり、時間が有限であるからこそ、感動がうまれるのかなと感じています。
終わりを意識する
社会人になってからって終わりを意識する経験って少なくなると思うのです。
時代は変わってきていますが、日本では終身雇用的な考えが根強く仕事でも定年まで40年近くあります。
それだけ長いと終わりを意識することがほとんどないですよね。
ライフイベントでも結婚や出産にしても、継続するのが当たり前の前提で話が進んでいきます。
奇しくも社会人になると期限があることって少なくなりますよね。
それ自体はいいことでもあるのですが、期限がないからこそ感動も少なくなります。
感動するためには終わりを意識するのが大切です。
期限はある
でも、本当に期限はないのでしょうか?
本当は社会人になっても期限はあります。
明確な日付ではないかもしれないですが、終わりはあります。
- 会社をやめる日が来る
- 好きな人と別れる日がくる
- 自分が死ぬ
それがいつかというのは誰にもわかりません。
それでも、いつか終わりがきます。
それが明日になるかもしれないです。
終わったときにはじめてわかることです。
始まりがあれば、終わりがある
何かが始まれば、必ず終わりが来ます。
生まれた以上死にますし、入社した以上は退社します。
始まりと終わりはセットで来るわけです。
終わりは必ずくるのです。
だから、いつかは来る終わりを意識してみてはいいのではないでしょうか。
死ぬこととか目を向けるのは辛いことかもしれません。
自分が死ぬこととか、親が死ぬことを向きあるのは辛いことです。
でも、いつかは来ることです。
それをしっかりと見据えるからこそ、今を大切にできる気がします。
それが今を輝かせながらいきることになると思います。
まとめ
青春時代と社会人に違って何が違うか?
それは期限があるかどうか?終わりがあるかどうかです。
社会人になって感じにくい終わりや期限ですが、それは無いわけではありません。
必ずいつかはくるものです。
遠い先のことであったとしても、終わりはあります。
それを意識するだけで、今を大切に生きられるのではないでしょうか?
終わりがあるからこそ、今が輝き出す気がします。いろんなものを大切にできる気がします。
ぜひ、終わりを見据える人生にしてみてはいかがでしょうか?