働き方、考え方

育てると教育の違い。 人はほっておいても成長する

こんにちは。

じいちろーです。

 

教育論、成長論ってたくさんの本がでています。

いろんな考え方があっていいなと思うのですが、同時に思うのが固定観念ができてしまうことかなと思います。

こういうやり方が正しいとか、こういう生き方が正解とか。

特にこういう教育論について語られるときって、常識とかに縛られることが多いと思います。

もはや、教育ではなく、しつけのレベルになってきます。

もしくは押し付けとかですかね。

そういった教育論ではなくて、自分にとって正しいことをやっていくべきだと思います。

どうも生きにくい、やりにくい、うまく動きにくい。

そんなことを考えている方に対して、今日の記事は書いていきたいなと思います。

同様に、子供をうまく育てられていないと思う方にもぜひ読んでほしい内容です。

 

教育と成長の違い

まず、教育の話をする上で個人的にお伝えしたいのが、教育と成長(育てる)の違いです。

定義上、正確な違いがあるのでしょうが、私の中での違いというのがこういうものです。

それが以下の通りです。

  • 教育=他人にこれが正しいと教えるもの
  • 成長=自分の中で正しいと思うことを育むこと

もちろん、正式な違いというものがあると思うので、それについてはググるなり、辞書で調べるなりしてみてください。

なので、まずは自分がやろうとしていること、されていることが、教育にあたるのか、成長にあたるのかをよく見るといいと思います。

 

自動型か他動型か

教育と成長の一番の違いは、自分から動くものか、他人から動かされるものか..ということですね。

自分から自発的にうごくことが成長で、外からこれが正しいというのを教えて他人から動かしていくのが教育ですね。

教育が他動で成長は自動です。

当然のことながら、どちらも一長一短あるので、どっちが絶対的に正しいみたいなことを言いたいわけではありません。

ただ、個人的に思うのは他動型でやってしまうと、長い目でみたときいつかは崩壊していくのではないかんと思ったりするのです。

ひずみが生まれるとも言ったほうがいいのかもしれないですね。

 

人から何かを言われるとひずみがうまれる

人から何かを言われるのが好きって人っていますかね?

ほとんどの人は嫌いなのではないでしょうか?

アドバイスをもらったりするのはいいと思うのですが、これが正しいことです!みたいなことを言われるとちょっとしんどいですよね。

素直に人の言われたことを聞くのって難しいですよね。

親とか先生とか近しい人・立場がある人であるほどそれが難しくなります。

感情的にうけつけなくなったりします。

それって、自分の思っていることと人から言われることに違いがあるからですよね?

同じことを思っているのであれば、人から何を言われても素直に受け取ると思うのです。

違うとおもっていることを言われても受け入れるわけではないです。

それを親とか先生とか立場のある人から言われると、思ってもいないのにやらないといけないと思うからひずみがうまれるわけです。

 

ひずみがたまると爆発する

ひずみがうまれると人から言われることに素直に受け入れられないのです。

素直に言われた通りやっていたとしても、行動している本人からすると受け入れていないのでひずみがうまれるのです。

こうなってくるとドンドン悪いほうに向かっていったりします。

ひずみがたまっていってしまい、最終的には爆発するわけです。

それが外側に向かえば反抗・暴力・犯罪を犯す等々。

逆に内側に向かえば、うつ・ひきこもり・自殺等々。

そんな現象として現れたりするのです。

そうなるとすごく悲惨です。

なので、他人にああだこうだといいすぎるといけないわけです。

 

言っている本人にとっては正しいだろうが…

逆にいっている側、教えようとしている人からの視点からみるとどうなのか?

言っている側からすると、正しいことをいっているので、むしろ感謝されるべきみたいなことを思っているわけです。

主張している以上は、悪人でない限りは人に間違ったことを教えないと思います。

むしろ相手によくなってほしいと思って言うのだと思うのです。

そういう意味では何も間違ってはいないです。

相手を思ってのことだと思うので、それ自体が悪いわけではないです。

ただ、自分の思っていることが本当に正しいことなのかということをちゃんと考えているのかどうか?

そういうことを考えてみてもいいと思うのです。

 

正しいことは一つではない

自分にとっての正しいことは、相手にとっても正しいことなのか?

正解は一つなのだろうか?事象が変わると正しいことなのか?

人によって正解って異なると思うのです。

人は親子であっても大きく違うわけです。

ましてや育ってきた環境が異なる人であればさらに多く異なるわけです。

そうなったときに、自分にとっての正解が相手にとっての正解になるかは正直だれにもわかりません。

相手の状況・立場・性格…いろんなことを見た上で正解を見極められているのであればいいのでしょうが、おそらくそんな達人みたいな人はいないと思います。

となると、正解を伝えるのではなくて、相手にとっての正解を導いてあげるのが、良い教育なのではないかと思うのです。

コーチング的なアプローチですね。

相手の求めていることや、ほしい結果からどうしたらいいかということを一緒に考えてあげるのがいいのではないでしょうか?

ああしろ、こうしろといっても、それはあなたの欲しい結果であって、相手にとっての欲しい結果ではないのですから。

相手の欲しい結果によりそってあげてもいいのではないでしょうか?

 

ほっておいても成長するもの

私自身が感じることですが、人ってほっておいても成長するものだと思うのです。

本人がやりたいことを勝手にやるものだと思うのです。

あれがダメ、これがダメとクレヨンしんちゃんのように言われると、やりたいことができなくなります。

逆にやりたいことってのは子供のように勝手にやっていくものだと思います。

その勝手にやっていくなかでいろんな経験をしていくと思います。

いいことも悪いことも経験を通して学んでいくと思います。

人から怒られることもあると思うし、逆に喜ばれることもあると思います。

そんな経験をとおして、自分にとっての正解を見つけていくのだと思います。

そんな経験を通じて人は熟していくのだと思います。

植物のように肥料や水を与えなくても、勝手に必要な栄養をもらいながら成長していくものです。

そんないろんな経験を通したなかで、人から教わったことを一致したときに、はじめて人の教えを素直に受けいられるようになるのではないでしょうか。

経験を伴わない教えというのは、素直に聞けないのではないのでしょうか?

 

自分に対してやってみよう

ここまで書いたことですが、簡単にまとめると

  • 人に無理に教えようとするとひずみが生まれる
  • 正解は一つではない。相手にとっての正解を一緒にさがす
  • 人は自然に成長するもの

となります。

これは、自分に対してやられている場合もありますし、人に対してやっている場合もあると思います。

無理やり人に押し付けたりしていないだろうか?

人から無理やり押し付けられたりしていないだろうか?

ぜひ、改善できるなと思うことがあれば実践してほしいです。

ただの知識というよりも、実践・経験することで学ぶことがたくさんあります。

自分に対しても、無理に教育しようとするのではなく、ほっておきながら自然な成長をさせるように許可してみましょう。

ひずみなく成長することがますよ。